1991年、ガーディアンズ ネイルの母体はギターの大谷と、ドラムの麻生で結成された。 その後ギター宮之原、ボーカル品川、前任ベーシストが加入、 ライブ活動を開始した。92年3月に脱退した前任ベーシストに変わり関が(以前マージュリッチのローディーだった宮之原の要請により)加入、これによりガーディアンズ ネイルの中心メンバーが揃った。当時のライブ拠点は 埼玉県 川口 モンスター及び 東京 目黒 ライブステーション。このメンバーによって配布用2曲入りデモ及びファーストデモ"GUARDIAN'S NAIL"が録音された。このデモから"CALL OF NIGHTINGALE" がメタル系ラジオ番組にてオンエア、ガーディアンズ ネイルの名が世間に出るきっかけとなった。
1993年、ドラムが青木 学に交代。この時期から名古屋、大阪方面でのツアーが始まる。 とくに大阪ではデモテープの人気が高く、期待されていたようだ。1994年に入り、このメンバーでセカンドデモ "SECOND WIND"の制作に入る。この作品はラジオ、国内外ファンジン、また国内商業音楽誌でも広く紹介され、ガーディアンズ ネイルの 評価を決定的にした作品といえる。リリース後、洋楽メタルファンからの支持が増加した。
1994年9月、青木がメタル以外の音楽性に挑戦したいという理由で脱退、 3ヶ月のオーディション期間の後、正田 泰(exノーチラス、ルシファー、ママー)に決定。 ガーディアンズ ネイルは1995年始めにシーンへ復帰した。 1995年には、コンピレーションCD "MELODICAL RENAISSANCE" 参加、そしてアルティメイトネットワークと協力しての イベントの主催、名阪ツアーなど、積極的な活動を展開した。
1995年年末イベントへの出演の後、ガーディアンズ ネイルは新作の構想のため、活動を停止。そして1996年4月に に新作"BELIEVE"録音開始。5月にはライブ再開。6月に行われたイベントの演奏風景は東京12ch系の”出没! アド街ック天国"目黒編で紹介された。('96 8/3 放映) 。そして、1996年9月、CD"BELIEVE"発売。そしてこの中から2曲がマンドレイクルートレコードから96年10月に発売されるコンピレーションCD"MAKE IT SHINE Vol.2"に収録されることになり、それにあわせてのインタビューが96年11/2にFM富士"ALL NIGHT JAPPY PARTY" でオンエアされた。 9月末に、Gの宮之原が右鎖骨骨折、入院。ガーディアンズ ネイルは急遽東京を拠点とするバンガードのギター内田純一をサポートメンバーに加え、年内の予定をこなす。
1997年、ガーディアンズ ネイルは元ストーンエッジのギタリスト、河野正貴をセカンドギタリストとして加入させ、活動を再開する。この年は、海外プロモーションに専任スタッフを起用し、積極的に海外へ展開、数多くのレビュー、インタビューを受けることとなった。国内においては積極的なツアーなどを行ったが、新たな音楽性の追求と音源への準備で、東京と大阪で行われたアルティメイトネットワークによるオムニバスCD ”Kill'em All Fakin Metals 2”発売記念ライブイベント参加後、ライブ活動を休止した。
活動休止中、バンド内での音楽的な意見の食い違いから1998年2月、正田とオリジナルメンバーであり、ソングライターである大谷が脱退を表明、残されたメンバーで協議した結果、ガーディアンズ ネイルは解散を決定、6年間の活動に終止符を打つこととなり 同年3月、正式に解散を発表、ガーディアンズ ネイルの歴史は終わったのである。
※表示される情報はバンドが活動してい頃の情報です。現在は変わっている可能性があります。